技術者が行うべき知財観点からの技術評価:新規研究開発の成功確率を高めるために
研究開発活動において、どのような技術テーマに取り組むか、どのような外部技術を導入するかといった「技術評価・技術選定」のプロセスは極めて重要です。この初期段階での判断が、その後の研究開発の方向性や事業化の成否を大きく左右します。そして、この技術評価の精度を高める上で不可欠な視点が「知的財産(知財)」です。
技術者は通常、技術的な実現可能性、性能、コスト、市場性といった観点から技術を評価しますが、ここに知財という要素を加えることで、より多角的に、かつ将来のリスクと機会を見据えた評価が可能になります。本記事では、技術者が技術評価・技術選定において知財の観点をどのように組み込むべきか、具体的なステップと役割について解説します。
なぜ技術評価・技術選定に知財視点が必要なのか?
新規の研究開発テーマを立ち上げる際や、外部から技術を導入・提携する際に、知財の視点を持つことは、技術的な評価と同じくらい、あるいはそれ以上に重要になることがあります。その理由として、主に以下の点が挙げられます。
1. 知財リスク(侵害リスク)の早期発見
最も直接的な理由は、他社の権利を侵害するリスクを早期に発見することです。技術的に魅力的で市場性も高い技術でも、他社の有効な特許権を侵害する可能性がある場合、その技術をそのまま事業化することは困難です。開発途中で侵害リスクが判明すれば、多大な開発コストや時間を無駄にしてしまう可能性があります。初期の技術評価段階で、関連する知財情報を確認することで、このようなリスクを事前に察知し、回避策(設計変更、ライセンス交渉など)を検討する、あるいはテーマ自体を見直すといった判断が可能になります。
2. 知財機会の発見と競争力の評価
知財はリスクであると同時に、自社の競争力を高めるための重要な「機会」でもあります。評価対象の技術や周辺技術領域において、どのような技術がまだ権利化されていないか、あるいは自社がどのような技術を発明し、権利化できる可能性があるかを知財情報から読み取ることができます。また、競合他社の知財状況を分析することで、その技術が知財によってどの程度保護されているか、技術力以外の側面からの競争優位性を評価することができます。
3. 技術の真の価値評価
技術の価値は、その技術的な優位性だけでなく、知財によってどの程度排他的に実施できるかによって大きく変動します。どれほど優れた技術でも、誰でも自由に模倣できる状態であれば、その価値は限定的になってしまいます。逆に、知財によって強固に保護されていれば、その技術を独占的に実施したり、他社にライセンスすることで収益を得たりすることが可能になります。知財視点での評価は、技術の真の価値を見極めるために不可欠です。
4. 開発戦略・事業戦略への反映
知財評価の結果は、その後の研究開発戦略や事業戦略に直接影響を与えます。侵害リスクがあれば回避設計を検討したり、ライセンス戦略を立てたりする必要があります。強力な知財を構築できる見込みがあれば、それを軸とした市場投入戦略を練ることもできます。知財評価は、単なる技術の良し悪しを判断するだけでなく、その技術をどのように活用し、事業を成功させるかという戦略策定の基礎となります。
技術評価・技術選定プロセスにおける技術者の役割と具体的なステップ
技術評価・技術選定のプロセスにおいて、知財の専門家である知財部(知財担当者)と連携することは重要ですが、技術者自身が果たすべき役割も多岐にわたります。技術者はその技術に関する深い理解を持っているため、知財情報を技術的な観点から解釈し、評価する上で最も適した立場にいます。
ステップ1:評価対象技術に関連する知財情報の収集・理解
評価対象となる技術領域について、関連する特許公報、論文、技術資料などの知財情報を収集します。特に特許公報は、公開された最新の技術情報であり、かつ他社の権利範囲を示す重要な情報源です。知財データベースの基本的な使い方を理解し、キーワード検索や分類検索などを駆使して、関連性の高い情報を絞り込むスキルがあると、初期段階での情報収集が効率的に行えます。
ステップ2:収集した知財情報の技術的解釈
収集した特許公報などを読み解き、そこに記載されている技術内容を正確に理解します。特に重要なのは、特許請求の範囲(Claim)です。特許権の効力範囲はこの請求の範囲によって定められるため、評価対象技術がこの請求の範囲に含まれる可能性があるか、技術的にどのように異なるかを検討します。この技術的な解釈は、知財の専門家だけでは難しく、技術者自身の深い技術理解が不可欠となります。
ステップ3:簡易的な知財リスク・機会評価の実施
技術的な解釈に基づき、評価対象技術について簡易的な知財リスク(他社特許を侵害する可能性)や知財機会(自社が権利化できる発明の可能性)の評価を行います。 * 侵害リスクの検討: 評価対象技術の構成要素や実施方法が、他社特許の請求の範囲に記載された技術構成と一致しないか、あるいは均等なものと見なされないか、予備的な判断を行います。完全に一致しなくても、他社特許の技術思想を利用しているかといった観点も重要です。 * 自社発明可能性の検討: 評価対象技術に取り組む中で、既存技術にはない新しい技術的特徴や改良点が見出せるか、それらが特許の要件(新規性、進歩性など)を満たす可能性があるかを検討します。 * 知財クリアランスの必要性の判断: 簡易評価で侵害リスクが疑われる場合、より詳細な専門家による侵害予防調査(クリアランス調査)が必要かを判断し、知財部に連携します。
ステップ4:技術的な観点からの知財の強弱評価
特許権の場合、その権利の強弱は、請求の範囲の記載の仕方や、それに先行する技術(先行技術文献)の内容によって大きく変わります。技術者は、先行技術文献の内容と特許請求の範囲を照らし合わせることで、その特許が無効にされやすいか、あるいは回避設計が容易かといった、技術的な観点からの権利の強弱を評価することができます。請求の範囲が広すぎると無効になりやすく、狭すぎると回避されやすいなど、技術者ならではの視点で権利の「質」を評価することが重要です。
ステップ5:評価結果の報告と戦略への反映
これらの知財観点からの評価結果を整理し、技術的な評価結果と合わせて、チーム内や関係部署、あるいは経営層に報告します。知財リスクや機会が発見された場合、それがその後の研究開発や事業化戦略にどのように影響するかを具体的に提案します。例えば、リスクが高い場合は開発方針の変更、ライセンス交渉の検討、テーマの中止などを提言し、機会が大きい場合は重点的な研究開発、早期の権利化手続きなどを提案します。
具体的な技術評価・選定の場面と知財の関わり
- 新規研究テーマの探索・選定: 新しい研究テーマを決める際、興味のある技術領域の特許マップ(特定の技術領域における特許出願動向や出願人、技術内容などを視覚的にまとめたもの)を参照することで、競合の動向、技術トレンド、未開拓の技術フロンティアなどを把握できます。これにより、有望でかつ知財リスクの低い(あるいは知財を構築しやすい)テーマを選定するのに役立ちます。
- 外部技術の導入・ライセンスイン検討: 他社や大学から技術を導入する場合、その技術自体が持つ知財(特許権など)が存在するか、その権利範囲はどの程度か、また導入する技術の実施が他社の権利を侵害しないか(クリアランス)を評価する必要があります。技術者は提供された技術内容と関連知財情報を照合し、その技術の真の価値とリスクを見極めます。
- 共同研究テーマの評価: 大学や他の企業との共同研究テーマを選定する際も、共同研究によって生まれる成果の帰属や活用に関する知財契約(共同研究契約)の評価が必要です。技術的な実現性と共に、知財面での協力体制や成果の取り扱いが適切かを知財部と連携して評価します。
チームリーダー・マネージャーが推進すべきこと
チームリーダーやマネージャーは、チームメンバーが知財の観点を持って技術評価に取り組めるよう、環境整備と意識付けを行う責任があります。
- 知財リテラシー向上の支援: チームメンバーが知財情報の基本的な検索方法、特許公報の読み方、発明発掘の重要性などを学べる機会を提供します。知財部による研修や、eラーニングの活用などが有効です。
- 知財部との連携強化: チームが日常的に知財部とコミュニケーションを取りやすい関係を構築します。研究開発の初期段階から知財部と情報を共有し、技術評価における知財面の疑問点や懸念事項について気軽に相談できる体制を作ります。
- 技術評価プロセスへの知財観点の組み込み: 新規テーマ提案シートや技術評価チェックリストなどに、知財に関する項目(関連特許調査の有無、侵害リスク、発明可能性など)を組み込み、知財評価がプロセスの必須要素となるように仕組み化します。
- 評価結果に基づいた意思決定: 知財評価の結果がネガティブであっても、それを隠蔽することなく、事実に基づいて迅速かつ適切な意思決定を行います。必要に応じて、開発計画の見直しやテーマの中止といった決断をサポートします。
まとめ
技術評価・技術選定のプロセスにおいて、知財の観点を取り入れることは、単なるリスク回避にとどまらず、研究開発を成功に導き、競争優位性を構築するための重要な戦略的活動です。技術者自身が知財に関する基礎知識を持ち、自らの技術的な知見を活かして知財情報を評価することで、より精度の高い判断が可能になります。
チームリーダーやマネージャーは、チーム全体の知財リテラシーを高め、知財部との連携を密にし、技術評価プロセスに知財の視点を組み込むことで、研究開発チームの力を最大限に引き出すことができます。知財を「難しい法律」として敬遠するのではなく、「技術開発・事業成功のための強力なツール」として捉え直し、日々の業務に活かしていくことが、これからの技術者には益々求められています。