研究開発成果の価値が問われる時:M&A・事業譲渡における知財デューデリジェンスへの技術者の関わり方
研究開発に携わる技術者の皆様、特にチームリーダーやマネージャーの方々は、日頃から新しい技術の創出や課題解決に取り組まれていることと存じます。生み出された研究開発成果が、最終的に事業として成功することはもちろんですが、場合によってはM&A(企業の合併・買収)や事業譲渡といった形で、その価値が評価される機会もあります。
このような局面で、技術者が開発した技術やそれに関連する知的財産権が、その事業の価値を測る上で極めて重要な要素となることをご存知でしょうか。本稿では、M&Aや事業譲渡のプロセスで行われる「知財デューデリジェンス(知財DD)」に焦点を当て、そこで技術者がどのように関わるべきか、また日頃から意識しておくべきことは何かについて、技術者の視点から解説いたします。
M&A・事業譲渡における知財デューデリジェンスとは
デューデリジェンス(DD)とは、M&Aや事業譲渡といった取引の対象となる企業や事業の価値、リスク、課題などを詳細に調査することです。知財DDは、その中でも知的財産権(特許、実用新案、意匠、商標、著作権、秘密情報など)に特化した調査を指します。
なぜ知財DDが重要なのか
- 価値評価: 買収対象となる技術や事業が持つ知財が、将来どれだけの収益を生み出す可能性を秘めているか、事業の競争優位性をどの程度維持できるかを評価します。
- リスク評価: 買収対象の知財が他社の権利を侵害していないか、あるいは自社の知財が正当な手続きで取得・管理されているかといった、潜在的な法務リスクを洗い出します。
- 事業継続性: 主要な技術に関する知財が適切に保護されているか、ライセンス契約に問題はないかなど、事業の継続に不可欠な知財状況を確認します。
特に技術主導の企業や事業においては、特許をはじめとする知財が事業価値の大部分を占めることも少なくありません。そのため、知財DDはM&Aや事業譲渡の成否を左右する極めて重要なプロセスと言えます。
知財デューデリジェンスにおける技術者の役割
知財DDは、法務や知財部門の専門家が主導することが一般的ですが、技術者抜きには成り立ちません。なぜなら、技術の内容や開発の経緯、現場での秘密情報の管理状況など、知財の根幹に関わる一次情報は技術者が最もよく把握しているからです。
技術者が知財DDで果たすべき主な役割は以下の通りです。
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技術内容・開発経緯に関する情報の提供と説明:
- 対象となる技術の核心、競合技術との差異、将来的な発展性など、技術的な詳細について正確な情報を提供します。
- 発明がどのように生まれ、どのように開発が進められたのか、共同研究や外部委託はあったかなど、特許や秘密情報の成立・維持に不可欠な開発の経緯を説明します。
- 買収監査チームや先方の技術者から、技術的な質問や知財に関する質問があった場合に、専門家(知財部員など)と連携しながら、技術的な観点から分かりやすく説明します。
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関連資料の準備・確認への協力:
- 実験ノート、開発ログ、コードリポジトリ、技術仕様書、設計図、共同研究に関する記録など、研究開発活動の記録は知財の正当性や有効性を証明する上で非常に重要です。これらの資料の所在確認や提出準備に協力します。
- 秘密情報として管理している技術情報が、適切に保護されているか(アクセス制限、持ち出し制限など)の確認を求められることがあります。
- 過去の特許出願書類や拒絶理由通知、それに伴う補正・意見書の内容について、技術的な背景を説明します。
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(買収側の場合)対象技術・知財の技術的評価:
- 買収対象企業の技術が、実際に主張されているような性能や優位性を持つのか、技術的な実現可能性はどうかを評価します。
- 対象企業の知財が、その技術を適切にカバーできているか、権利範囲は十分か、回避は容易かなど、技術的な観点から知財の有効性や強度を評価します。
- 対象技術の実装において、既知の他社特許を侵害するリスクがないか、技術的な観点から検証に協力します。
技術者は、これらの役割を通じて、知財DDの精度を高め、対象となる技術や事業の真の価値とリスクを明らかにする上で不可欠な貢献をします。
知財DDに備えて日頃から意識すべきこと
M&Aや事業譲渡の可能性は、研究開発の初期段階では想定しにくいかもしれません。しかし、研究開発成果が将来そのような形で評価される時のために、技術者が日頃から意識し、習慣化しておくべき重要なことがあります。
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研究開発活動の適切な記録:
- 実験ノートや開発日誌に、アイデアの着想、実験の内容、結果、考察、日付、署名などを正確かつ詳細に記録する習慣をつけましょう。これは、発明がいつ、どのように生まれたかを証明する上で極めて重要です。
- ソースコードのバージョン管理、設計変更の記録なども同様に重要です。
- 誰が、いつ、どのような貢献をしたか(共同発明者となりうる人物は誰か)を明確に記録しておきましょう。
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秘密情報の厳格な管理:
- 社内の秘密情報管理ポリシーを理解し、遵守徹底します。
- 重要な技術情報、顧客情報、経営情報などを、許可なく外部に開示したり、不必要に共有したりしないよう細心の注意を払います。
- 共同研究や委託開発を行う際は、契約内容、特に秘密保持義務についてしっかり理解し、情報共有範囲を厳守します。
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社内知財プロセスへの積極的な関与:
- 発明を創出した際は、速やかに社内の発明届出プロセスに従い、正確な情報を提供します。発明が会社の知財として保護される最初のステップであり、DD時にその経緯が確認されます。
- 特許出願や権利化の過程で、知財部員や弁理士から技術内容に関する質問や確認があった際には、迅速かつ正確に対応します。技術的な観点からのコメントは、より強い権利を取得するために不可欠です。
- 共同研究契約や外部委託契約において、知財に関する条項(権利の帰属、秘密保持など)が適切であるか、技術的な視点から確認を求められたら協力します。
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知財情報のキャッチアップと活用:
- 自社や競合他社の特許情報などを日頃から確認し、関連技術分野の知財動向を把握しておくことも有効です。これにより、自社の技術がどのような位置づけにあるか、どのような知財リスクがあるかなどを事前に理解できます。
これらの活動は、M&Aや事業譲渡といった特定の局面のためだけではなく、日頃の研究開発活動におけるリスク管理や、自社の技術・事業の競争力強化にも直接的に繋がります。技術者一人ひとりの意識と行動が、組織全体の知財力、そして事業価値を高める基盤となります。
まとめ
M&Aや事業譲渡における知財デューデリジェンスは、技術者が生み出した研究開発成果の価値が、ビジネスの最前線で評価される重要な機会です。このプロセスにおいて、技術者は単なる情報提供者ではなく、技術と知財の専門家として、その真の価値とリスクを明らかにするための中心的な役割を担います。
日頃から研究開発活動の記録を適切に行い、秘密情報を厳重に管理し、社内の知財プロセスに積極的に関与することは、知財DDをスムーズに進めるためだけでなく、技術者自身の成果を正当に保護し、将来のキャリアや組織の発展に貢献するための不可欠な活動です。
技術者の皆様が、このような事業の出口戦略における知財の重要性を理解し、日々の研究開発活動を通じて、自社そしてご自身の成果の価値を最大化していく一助となれば幸いです。